柳原六兵衛
どんな伝承か
柳原六兵衛は幕府直轄の石見大森銀山領の山師であったが、天和の頃、突然出雲へ走って大原郡猪尾村に移り住んだ。正善寺に宿を借りて手習師匠をしていたが、ある日一躍して隣村の神原村の庄屋に任命される。他国からの流れ者が庄屋や村老の地位につけたのは、銀山領から持参したにちがいない多額の金子がものを言ったためではないかという。晩年は長女に養子伝右衛門を迎えて持高を二分し、自らは高の原に隠居して元禄一四年(一七〇一)五四歳で没した。その時の伝右衛門の持高は八〇石で、六兵衛は神原村へ移って一〇年あまりの間に相当の土地を集積したとみられる。
原典より
柳原六兵衛は、幕府の直轄地である石見の大森銀山領の山師(銀山経営者)であった。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・昭和(1970年代)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・昭和(1970年代))
速水保孝『出雲の迷信』。自ら狐持ちの家に生まれた著者が、出雲・隠岐・伯耆の狐持ち迷信を、家筋の系譜・近世史料・社会経済史の観点から徹底的に解明した憑きもの研究の集大成。第一章では自家が狐持ちとされた悲しみ・隔地心中事件・叔母の嫁入り口の差別を語り、第二章で憑き・狐憑き患者・人狐と狐持ち・おさき・くだ・いづな・とうびょうを概観する。第三章では犬神統の部落・上馬荷の人々・犬神使いの歴史・四国と豊後の犬神を追う。