親王日記の「調馬之事」八十四ヶ所
どんな伝承か
戦前の大本では、王仁三郎が皇族・有栖川宮熾仁親王の落胤であるという伝説が公然の秘密として信じられていた。王仁三郎は昭和三年三月三日のみろく大祭後、「たるひと」という言葉を執拗に詠みこんだ歌を大量に発表し、また熾仁親王の号である「霞堂」を詠みこんだ歌も残している。王仁三郎の生母ヨネは、叔父夫婦が伏見で経営していた船宿で女中奉公をしており、このころに熾仁親王のお手がついたというのである。有栖川宮熾仁親王の日記には、京都滞在中にかぎって「調馬之事」という暗示的な表現が八十四か所も見られ、これは親王がある女性のもとへお忍びで通っていたためではないかと推理されている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎の霊界からの警告――発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相(武田崇元・武田崇元・大本研究・現代(著述))
武田崇元『出口王仁三郎の霊界からの警告―発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相』。大本の聖師・出口王仁三郎の生涯と予言を、霊界のプログラム(型)として読み解く。