教通室に小松僧都の霊が憑く
どんな伝承か
平安中期、教通の室が懐妊してから人々の間に霊異のことが続き、御読経・御修法が行なわれた。出産後も病悩がつのり、験者が集まって加持したが、物怪は巫女にも移らず正体も明かさない。以前、室が御産をするたびに小松僧都の霊がしばしば現れていたので、教通は今度もそれかと思った。心誉僧都を招いて加持を強化すると、いつも憑き慣れた女房に物怪が乗り移り、小松僧都の正体が現れた。祈禱の激しさに耐えかねた霊が、加持を停めて引声念仏にしてくれと頼み、教通がこれを聞き入れると、加持の著効も空しく、北の方はそのまま息が絶えてしまった。後に呪詛や東宮傅道綱室の物怪であるとかの噂も立ったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・昭和(1976))
宗教学者・山折哲雄『日本人の霊魂観―鎮魂と禁欲の精神史』(1976年)。日本人の霊魂観念を、遊離魂・天皇霊・憑霊・鎮魂という主題で歴史的・象徴論的に考察する。序章で問題と方向を示し、第一章『遊離魂と殯』では『日本霊異記』にあらわれた霊肉の課題(魂が一日に千里をゆく遊離魂と、死者を仮安置する殯)を論じる。第二章『天皇霊と呪師』では玉躰加持の象徴儀礼を、霊魂は肉体の形相(封蠟と印型)とするアリストテレス的議論を引きつつ分析する。