勝虞・護命、桓武帝の病を平復
どんな伝承か
勝虞と護命の師弟は、元興寺で法相唯識を学んだのち吉野の比蘇山寺にこもり、虚空蔵求聞持法を修めて激しい山林修行に打ち込んだ南都の名僧である。延暦二十四年(八〇五)正月、桓武天皇が病に陥ると、二人は宮中に入った。勝虞は帝のそばに侍って著しい効験を現し、鷹や犬を放つ放生を取り仕切り、早良太子の怨霊を鎮める祈禱にも加わったらしい。護命は大極殿で最勝王経を講じ終えると、天皇に戒を受けさせた。翌日には帝の体が元に戻り、勝虞は少僧都に、護命も六月に大法師位に任じられたという。
原典より
護命の方は大極殿において最勝王経を講じていたが、それが終ったあとで、天皇に戒法を受持せしめた。—— 日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年))
『日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史』は、山折哲雄が霊魂と身体の相関を軸に日本人の霊魂観を論じた論考集で、あとがきは一九七六年六月の日付である。序章で和辻哲郎・津田左右吉・折口信夫・柳田国男らの霊魂論を検討し、『日本霊異記』の蘇生説話にみる遊離魂と殯、天皇の病と看病僧の呪法、平安宮廷の物のけと不動法、源信『往生要集』の観想を各章で論じる。雑誌に発表した論文をまとめ、巻末に物のけ現象の資料と憑霊年表を付す。