疫病の世に下った百襲姫の神託
どんな伝承か
『日本書紀』崇神紀七年二月の条が伝える神事である。当時は疫病が広がって民が次々に倒れ、土地を離れる百姓も、各地で叛く者も絶えなかった。崇神天皇はこの年、神浅茅原へ出かけて八十萬神を招き、占いを行った。すると神が倭迹迹日百襲姫命に乗り移り、天皇が国の治まらぬことを憂えているが、自分をよく敬い祭れば必ずおのずと平らぐと告げたという。姫は孝霊天皇の皇女とされ、巫女としての性格が濃く、国内平定がやがて成ることを予言した形になっている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年))
『日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史』は、山折哲雄が霊魂と身体の相関を軸に日本人の霊魂観を論じた論考集で、あとがきは一九七六年六月の日付である。序章で和辻哲郎・津田左右吉・折口信夫・柳田国男らの霊魂論を検討し、『日本霊異記』の蘇生説話にみる遊離魂と殯、天皇の病と看病僧の呪法、平安宮廷の物のけと不動法、源信『往生要集』の観想を各章で論じる。雑誌に発表した論文をまとめ、巻末に物のけ現象の資料と憑霊年表を付す。