三宝の威を「かしこきみたまのふゆ」と読む
どんな伝承か
朱鳥元年六月、崩御の三か月ほど前の天武天皇は、伊勢王と官人を飛鳥寺に遣わし、近ごろ体が不調なので三宝の威に頼って安らかになりたい、僧正・僧都と衆僧は誓願せよと勅した。珍宝が三宝に奉られ、三綱律師や四寺の和上らには衣と夜具が施された。数日後には百官を川原寺に遣わして燃燈供養をし、大きな斎を設けて悔過した。この詔の三宝の威の威は「かしこきみたまのふゆ」と訓まれ、仏の威力が仏に宿るみたまの働きとして受け止められ、天皇霊のみたまふりの観念が仏に移されたものとみられている。
原典より
右の文中「三宝の威」の〈威〉に「かしこきみたまのふゆ」と読ませてあるところが問題の箇所である。—— 日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年))
『日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史』は、山折哲雄が霊魂と身体の相関を軸に日本人の霊魂観を論じた論考集で、あとがきは一九七六年六月の日付である。序章で和辻哲郎・津田左右吉・折口信夫・柳田国男らの霊魂論を検討し、『日本霊異記』の蘇生説話にみる遊離魂と殯、天皇の病と看病僧の呪法、平安宮廷の物のけと不動法、源信『往生要集』の観想を各章で論じる。雑誌に発表した論文をまとめ、巻末に物のけ現象の資料と憑霊年表を付す。