道鏡、孝謙女帝を看護し寵を得る
どんな伝承か
道鏡は生まれの事情こそはっきりしないが、難しい梵文を読みこなし厳しい修行を積んだ僧として知られ、そのため宮中の内道場に仕える資格を得ていた。天平宝字五年(七六一)、孝謙女帝が保良宮へ行幸した際に病を得ると、道鏡はその看病にあたり、それ以来女帝の寵愛をほしいままにしたと『続日本紀』は記す。のちに恵美押勝の乱を鎮めて太政大臣禅師に昇り、称徳帝(孝謙の重祚)からは法王の位まで授かった。しかし和気清麻呂の画策と宇佐八幡の神託で法王の座を追われ、下野国薬師寺の別当に左遷されて失意の晩年を送ったという。
原典より
天平宝字五年(七六一)、たまたま保良宮に行幸した孝謙女帝の病気を看護して以降、かれは女帝の寵をほしいままにするようになる。—— 日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史(山折哲雄・山折哲雄・宗教学・1976年(昭和51年))
『日本人の霊魂観――鎮魂と禁欲の精神史』は、山折哲雄が霊魂と身体の相関を軸に日本人の霊魂観を論じた論考集で、あとがきは一九七六年六月の日付である。序章で和辻哲郎・津田左右吉・折口信夫・柳田国男らの霊魂論を検討し、『日本霊異記』の蘇生説話にみる遊離魂と殯、天皇の病と看病僧の呪法、平安宮廷の物のけと不動法、源信『往生要集』の観想を各章で論じる。雑誌に発表した論文をまとめ、巻末に物のけ現象の資料と憑霊年表を付す。