精神霊動を世に送った桑原俊郎
どんな伝承か
明治三五年、桑原俊郎の研究熱はいっこうにおさまらず、漢文教師としての公務以外の時間はことごとく実験と研究に費された。同年なかばから『教育時論』誌に催眠術に関する記事を十数回にわたって連載すると、知識人に一大センセーションを巻きおこし、一躍時の人となる。各地から直接教授を求める声が高まり、自宅で講習会を開くかたわら『精神霊動』を世に送った。同書は彼の死後二年の明治四一年までに十七版を超える大ベストセラーとなる。明治三六年、意を決した桑原は静岡師範学校を辞して家族とともに東京へ移り、麻布中学の講師となった。同時に麻布区芝森元町の自宅を本拠に精神研究会を設立し、号を天然と称した。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・現代(著述))
井村宏次『霊術家の饗宴』。明治末から昭和初期にかけて隆盛し、抹消された〈霊術家運動〉の歴史を発掘・復元する。プロローグで霊術家の運命を予告し、第一章では気合術師・浜口熊嶽が帝都に乗り込み九字と気合の嵐で名を上げ、明治の心霊手術を行い、実川上人のもと那智滝で仙人修行・三密の極意を得て、大阪の『真言秘密』裁判で判官臨席の気合術実験により勝利するまでを描く。