三田後家宅の大黒天木像降り
どんな伝承か
慶応三年十一月十九日夜、摂津三田城下のある後家の二階に大黒天の木像が降った。二十一日には三田藩家中の乱暴者「天忠人」がやってきて、その木像を小便桶に投げ込んでしまう。それでも二十一日から二十八日にかけて米商など商家に観音像やお祓が次々と降り、二十八日からは町をあげての大祭りとなった。二十九日には紅提灯が下げられ、降札のあった家では隣家や米屋仲間が集まって「お影祭り」の乱舞となったが、同日、顔を隠した五人組の「天忠人」が現れてお祓や観音像を持ち去り、藩も祭りの中止を命じたため、城下の騒ぎはやがて鎮められたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔・1970年代~1980年代(推定))
本書は幕末維新期の慶応3~4年(1867~1868年)に東海地方から四国地方にかけて流行した「ええじゃないか」という民衆運動を詳細に記録した研究書である。神社仏閣の札が降下する「お札降り」現象を契機として、老若男女が「ええじゃないか」と囃しながら踊り狂い、祝宴を催す集団心理現象が急速に波及した。