池の決潰に流された乙原の草分け
どんな伝承か
三田市乙原の起こりについての言い伝え。前田信義によれば、この集落はもともと十八戸ほどの小さな村で、次第に家数が増えていったが、徳川の末期に大雨が降って奥の池が決壊し、多くの家が押し流された。前田家も壁の下地だけを残す有り様で、そのために古い記録はどの家にも残っていないだろうという。吉田利一らの話では、奥垣内を開いた奥氏、増田垣内を開いた増田氏、中世以前から八幡神社の「お当」の差配を務めてきた竹花・前田の両家などが乙原の草分けにあたり、いまは転出した住氏の本家も古い家柄だと伝える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
兵庫県民俗調査報告8――伝説(兵庫県(編)・兵庫県民俗調査報告・自治体史(民俗))
『兵庫県民俗調査報告8』第10章口頭伝承所収の伝説。兵庫県三田市周辺・千丈寺山麓に伝わる集落発祥・神社・廃寺・城跡の伝説と怪異を採録する。人を神として祀る南千丈寺山頂の松住大権現の磐座、焼き討ちされた千丈山観音廃寺、疫病神を追い払う戸守の鍾馗、法事帰りに重箱を襲う狐狸の怪、人の尿を好み小便たごを空にする狼話3題などを収める。各事例を日付・場所・人物・状況のマーカー付き事例単位で網羅した、摂津・三田の伝説と狐狼・鍾馗信仰の資料。