西川の御札降りと火燧かえ
どんな伝承か
大嶺地方の御札降りは慶応三年九月十日にはじまった。この日、西川に秋葉山の火伏せの札二枚と京都愛宕山の札一枚が降り、このころ近くの平山村でも降っている。十二日の青山家「日記覚帳」には、西川のおかげについて村内で話し合いが持たれ、善一郎が出向いたこと、火燧かえをして家内の火を火打石から作りなおしたこと、その晩に御日待をおこない、村内の秋葉山の燈籠の西に御宮を作って御札三枚を祀ったことが記される。十五日には郷中で秋葉山へ登った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。