気賀の三日騒ぎ
どんな伝承か
遠江国引佐郡神宮寺村八幡宮の神官で国学者の山本金木の日記には、慶応三年八月二十一日の項に、このごろ気賀で御札降りにともなう「三日騒ぎ」があり、三百両では不足だという話だと記されている。八月二十四日の晩には谷田半七方へ秋葉札が降り、翌日から村中が大騒ぎとなった。二十六日には陣屋にも御札が降り、二十八日には村々が騒いで押しかけている。井伊谷陣屋は期限を切って「三日騒ぎ」を申し渡したので三十日まで続き、九月一日に宮参りをして首尾よく終わった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。