洋画家が朝倉一五○の提灯を持つ幽霊の人力
どんな伝承か
洋画家の橋田庫次が少年の頃、吾川郡の弘岡村へ使いに行き、日が暮れてから自転車で帰って来た。途中に荒倉という山坂があり、鬼火が出るとか狸がいるとかいうので薄気味悪かった。やっと峠へたどりつくと茶店があり、門口に朝倉一五〇と記した提灯の人力車がいた。傍から「哥さん、どうせ乗って往きや」と変な言い回しの声がしたので、厭な気がして寄らずに坂を駆け下りた。すると後から一台の人力車が来て、轍の音も立てずに自転車を追い抜いて行った。その提灯には朝倉一五〇とあった。麓で道が二つに分かれた所へ来ると、地の底から出たようにまた人力車が現れ、朝倉連隊へ行く方の路へ折れて行った。その車にも同じ提灯が点いていた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本怪談実話(田中貢太郎・河出文庫版・決定版・昭和13年編纂(1938年))
日本怪談実話(田中貢太郎)/幽霊と怪光の実話/怨霊と祟り・因果/死の前兆と怪音/各地の怪異実話