塩崎村の医師酒井貞庵の日記(伝聞)に
どんな伝承か
松本の騒ぎはさらに北へ波及し、更埴地方にも例がみられた。更級郡塩崎村(現長野市篠ノ井)の医師酒井貞庵は、伝聞の記事だがとしながら、上田や新田村・八幡村(更埴市)、下戸倉村(戸倉町)、坂木村(坂城町)などにも札が降ったと日記に記している。この地方ではお札降りにともなう騒ぎを「豊年踊り」といったようで、施行をしなかった家には生首や生腕が降ったとも書かれている。北信濃では、施行を強制しつつ豊年踊りの形をとって流行していったのであろうと述べられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
松本市史 第2巻 歴史編2(松本市史・20世紀(地方史編纂))
本書は松本市史の一部として、慶応三年(1867年)に三河国で発生した「お札降り」現象が信州地方へ伝播した社会現象を詳細に記録している。天から降下する札を祝う「ええじゃないか」の騒動は、豊作祈願と世直しへの期待を背景に、仮装・変装した村民・町民による祝祭的な大騒動へと発展した。松本藩など地域の藩は「西洋流の業」として禁令を発令し鎮静化を図ったが、周辺地域では数日間の賑わいが継続した。