広島の神札投入
どんな伝承か
慶応三年(一八六七)、王政復古前後の広島城下では、「神札が降る」との噂が町民の間に広まり、実際に菱形や剣の形をした紙に「天照皇大神」と書かれた札が、夜のうちに家々へ投げ込まれる出来事が起きた。同じ頃「エイジャナイカ」の俗謡も流行し、政情不安と人心の動揺を反映するものと受け止められた。隣接する竹原に比べ藩都広島は比較的穏やかだったと記録されている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
尾道市史 -新修-第2巻(尾道市史・20世紀後半(推定))
本書は広島県の幕末社会に発生した一連の集団的異常現象を記録した歴史資料である。1864年11月から1865年1月にかけて、尾道と竹原を中心に発生した「お札降り」現象と「ええじゃないか踊り」は、単なる超自然現象ではなく、飢饉による経済的窮迫と社会秩序の崩壊を背景とした民衆心理の集団的狂乱であった。尾道での空からの御札降下、竹原での諸神札降臨は、やがて集団仮装踊りへ転化し、最終的には翌月の打ちこわし暴動へと発展した。