白平宅・米半宅への神像降臨
どんな伝承か
頼永祺の「丁卯日記」によれば、慶応三年十二月四日に大神宮が降臨し、八日には白平宅に観音札が降臨、十一日には米半宅に観音木像と神踏歌が降臨したと報じている。同年十二月十六日、平格あての書状には、大坂や尾道あたりで先日から諸神札降臨のことが大評判のところ、当地は当八日より降り始め、諸神札や木磁像など種々が大家中家残りなく降ったとある。頼家では十三日を初めとして酒店の前へ古仏の大黒神小像一体と偸伽山の御守札が降臨し、店の者が狂気して大騒動となり、両三日酒食に喰い倒れて失費が少なくなかったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
尾道市史 -新修-第2巻(尾道市史・20世紀後半(推定))
本書は広島県の幕末社会に発生した一連の集団的異常現象を記録した歴史資料である。1864年11月から1865年1月にかけて、尾道と竹原を中心に発生した「お札降り」現象と「ええじゃないか踊り」は、単なる超自然現象ではなく、飢饉による経済的窮迫と社会秩序の崩壊を背景とした民衆心理の集団的狂乱であった。尾道での空からの御札降下、竹原での諸神札降臨は、やがて集団仮装踊りへ転化し、最終的には翌月の打ちこわし暴動へと発展した。