岩子島・漁町への金札降り
どんな伝承か
尾道の御札降りは慶応三年十一月末から翌年の正月まで続いた。記録者の家では慶応四年辰の正月三日に大神宮が授かり、十一日には今日まで所々に降り続いていると記す。そしてこの日までに、岩子島の渡田要平方へ金五十両と札四百目が、当漁町へは金十両が降ったと書き留めている。降った家では内に七五三を張り、門には笹を立てて、諸人へ酒を酌み飲ませるのが習いであった。長州勢が六日に福山へ発向したことも同じ記事に見える。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
尾道市史 -新修-第2巻(尾道市史・20世紀後半(推定))
本書は広島県の幕末社会に発生した一連の集団的異常現象を記録した歴史資料である。1864年11月から1865年1月にかけて、尾道と竹原を中心に発生した「お札降り」現象と「ええじゃないか踊り」は、単なる超自然現象ではなく、飢饉による経済的窮迫と社会秩序の崩壊を背景とした民衆心理の集団的狂乱であった。尾道での空からの御札降下、竹原での諸神札降臨は、やがて集団仮装踊りへ転化し、最終的には翌月の打ちこわし暴動へと発展した。