不吉ゆえ改められた姿見ず橋の名
どんな伝承か
中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、財宝を埋めに行かせた下男を帰り道の橋の上で斬り捨てていたことから、その橋は下男の姿が消える橋として姿見ず橋と呼ばれていた。寛永八年、鷹狩りの帰りに三代将軍家光が橋のたもとの茶店でこの因縁を聞き、縁起でもない名だ、ここは水がよどんでいるから淀橋と呼ぶがよいと命じたので、橋の名は淀橋に改まり、やがて地名から区の名にまでなったという。それでも縁起の悪い橋として、嫁入りの行列は決して渡らなかった。大正になって、ある家の娘が嫁ぐ際に橋の上に祭壇を設けてお祓いをし、花嫁に渡り初めをさせてから、この習わしは消えたという。
原典より
しかし名は変わってもこの橋は不吉だからと、婚礼の時は決して渡らなかった。—— 江戸動物民話物語(窪田明治) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
江戸動物民話物語(窪田明治)
『江戸動物民話物語』は、「郷土史・東京」の刊行会を主宰した窪田明治が、東京の郷土史を調べた材料から江戸の民話を選んでまとめた本である。狐や狸、猫、蛇が人を化かし、恩を返し、祟る話を中心に、本郷・王子・向島・麻布・三田など東京各地に伝わる話を収める。狐・狸・猫・蛇・不思議な生き物の五部に分け、一話ごとに舞台となった土地の史跡や寺社の由来、沿革の解説を添え、まえがきとあとがきを付す。