棺に雷が落ちた雷が窪の由来
どんな伝承か
享保八年、北町奉行の中山出雲守時春が没し、その葬列が江戸の屋敷を出て、菩提寺のある飯能へ向かった。柏木のあたりまで来ると、そこはやや窪んだ土地であった。窪地に差しかかったとたん、猛烈な豪雨とともに雷が鳴り出し、棺に落雷して壊れてしまった。中山は生前、裁きがあまりに過酷だったので、罪人の怨霊が祟ったのだといわれた。以来この場所は雷が窪と呼ばれる。その後も墓参のたびに遺族がここを通ると不思議と雷が鳴り、里人は中山が墓参に出たのだと噂し、やがて雷鳴を聞くと「そら中山だ」と言うようになった。
原典より
場所 新宿西口 青梅街道の歩道橋のあたり時代 江戸時代 享保八年(一七二三)北町奉行であった中山出雲守時春がなくなり、その葬儀の日のことであった。—— 新宿と伝説(新宿区教育委員会) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
新宿と伝説(新宿区教育委員会)
新宿区教育委員会編『新宿と伝説』を全62話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。