矢留の荒神
どんな伝承か
広瀬藩主と母里藩主は兄弟であった。両藩の境を定めるのに、同時刻に母里と広瀬を発って能義奥へ向かい、出会った所を境にすると決めた。温厚な広瀬藩主は牛に乗り、勇壮な母里藩主は馬に乗って途中の赤屋の上の台原で狩座を催した。広瀬藩主は繩久利峠を下って清水を飲み「味のよい素水だ」と言い、以後この地を佐水と呼ぶ。広瀬藩主は才の原も十年畑も過ぎ、狩に夢中だった母里藩主とは十年畑の下でようやく落ち合い、そこを落合原という。母里領が狭すぎるので弓の上手に矢を射させると、矢は佐水の金屋谷奥の高山に落ちた。この山を矢到着、下の小山を論山、日向手の谷を界ガ谷と呼び、ここが両藩の境と決まったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第11巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第11巻』所収の「文化叙事伝説」および「自然説明伝説」全56話(鳥取・島根=山陰)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。