狐家の焼打ち
どんな伝承か
『広瀬の狐蠱』によれば、広瀬侯は狐蠱すなわち狐持ちの家と狐使いを憎み、騎卒を差し向けて狐持ちの家をすべて焼き、狐使いを全部殺したので、狐蠱がなくなったという。悲惨ではあるが英断であったと記されている。広瀬侯は松平直政の二男の松平近栄であろうとされる。こうして家を焼き人を殺したあとに残ったものは、以前から狐持ちが所有していた田であり、これが狐田であり焼打田であったろうと説かれる。田原屋騒動とあわせ、十六世紀後半から十七世紀初めごろの例とされる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
講座日本風俗史別巻 妖異風俗((講座日本風俗史 別巻)・日本風俗史・民俗・近代〜現代(民俗研究))
淫祠(みだらなる神仏・エロ教団の実態・はだか弁天/くすぐり弁天/おめこ大黒など性的み仏)、道祖神信仰と金精さまの地方色、邪教・新興宗教(璽光尊・殺人教ほか)、SEXに関する異妖迷信、妖術・忍術・魔術、憑霊現象と特殊家系(憑きもの筋)、心霊術・読心術・催眠術、妖婚、妖異性愛風俗まで、日本の性と妖異の民俗を網羅。