長沢雄楯の審神と霊学相承
どんな伝承か
喜三郎は第一回の静岡行きで稲荷講社総本部に三日間滞在し、総長の長沢雄楯から審神を受けた。長沢は向かい合って喜三郎を座らせ瞑目させ、天の石笛を吹き鳴らして神がかりを誘発した。喜三郎は神がかりとなり、眼を開いて大声で語り出した。長沢は、喜三郎にかかっている神霊は男山八幡の眷属コマツバヤシノミコトと富士山の大天狗芙蓉坊であると教えた。さらに長沢は師の本田親徳が示した神術の奇蹟を語り、『神伝秘書』『道の大原』『神道問対』各一巻の写本を喜三郎に授けた。稲荷講社の本部は静岡県安倍郡不二見村下清水にあった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。