駿府・便乗組の御札撒き検挙
どんな伝承か
御札降りの大流行には様々な便乗組の動きがあった。駿府(現静岡市)では十月十六日、御札を降らせた犯人グループが捕らえられている。主犯は新通り一丁目のある者と人宿町のある者で、各町にも一、二名の連累者があったとみられ、若者たちが連日の騒ぎに便乗して家々の御札を持ち出し、撒いていたものらしい。御札が降った家では必ず祝宴が開かれたため、若者たちにとってこれほど楽しいことはなかったのだという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。