新開地における狐持ち
どんな伝承か
まったくの新開地では事情が異なる。斐川町東部の久木や出東の東部地区のように近世中期以降に村づくりされた土地では、どの家も新しい移住者で草分けであり、新旧の対立が見あたらない。斐伊川のデルタ地帯には無限といえるほどの可耕地があり、古い村々のような緊張が生じず、狐持ち発生の物的条件を欠いたと思われる。山間地帯や海岸地帯でも、商品生産の未発達や水産物の換金困難のため近世末まで大きな経済的盛衰がなく、和鉄生産の盛んな仁多郡横田や平野のある飯石郡三刀屋以外ではほとんど狐持ちが発生していない。海岸部の狐持ちは多くが明治以降の派生的なものである。
原典より
ところが、まったくの新開地では事情が異なる。—— 出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・昭和(1970年代)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出雲の迷信(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・昭和(1970年代))
速水保孝『出雲の迷信』。自ら狐持ちの家に生まれた著者が、出雲・隠岐・伯耆の狐持ち迷信を、家筋の系譜・近世史料・社会経済史の観点から徹底的に解明した憑きもの研究の集大成。第一章では自家が狐持ちとされた悲しみ・隔地心中事件・叔母の嫁入り口の差別を語り、第二章で憑き・狐憑き患者・人狐と狐持ち・おさき・くだ・いづな・とうびょうを概観する。第三章では犬神統の部落・上馬荷の人々・犬神使いの歴史・四国と豊後の犬神を追う。