観音寺豊浜付近の流行
どんな伝承か
讃岐の「ええじゃないか」の実態は史料に乏しく、内閣文庫蔵の「高松県史・騒擾事変」が唯一の典拠とされてきた。それによれば高松市内と琴平でとくに流行し、丸亀・多度津でも騒ぎがあったという。身分も男女の別もなく、着飾って隊を組み、踊りまた謡い、謡えばかならず「不亦善乎」と唱えた。西へ走り東へ走り、夜を日に継ぎ、家々は酒食を用意して待ち受けたと記される。『三豊郡史』は、十二月二十日ごろ観音寺町・豊浜町付近がもっとも盛んで、翌年一月十五日に平静になったとする。香川県下の諸史誌類もこの平静化説を採るが、その根拠は不明のままである。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔・1970年代~1980年代(推定))
本書は幕末維新期の慶応3~4年(1867~1868年)に東海地方から四国地方にかけて流行した「ええじゃないか」という民衆運動を詳細に記録した研究書である。神社仏閣の札が降下する「お札降り」現象を契機として、老若男女が「ええじゃないか」と囃しながら踊り狂い、祝宴を催す集団心理現象が急速に波及した。