鹿ヶ谷事件で薩摩の鬼界ヶ島に流された成経・康頼・俊寛のうち
どんな伝承か
鹿ヶ谷の陰謀は多田蔵人行綱の密告によって事前に発覚し、成親の子成経は俊寛・康頼とともに薩摩国鬼界ヶ島へ流された。やがて赦免があったが、三人のうち俊寛だけが許されず、俊寛は天にあふぎ地に臥して人目もはばからず泣きもだえる。ここで、南天竺の早離・速離の兄弟が継母のため絶海の孤島に捨てられて餓死した故事が引かれているのも、その言葉の持つ意味が重んぜられてのことであろうと著者は説く。俊寛は自ら食を絶ち、念仏を唱えて死ぬ。その怨念は俊寛ひとりに、また鬼界ヶ島一ヵ所にとどまらず、この国々の諸所にくまなくゆきわたってゆくのだという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の幽霊たち ― 怨念の系譜(阿部正路・幽霊・文学史・昭和)