小石に経を書きつづけた俊寛
どんな伝承か
八百年の昔、清盛は自分に盾ついた俊寛・平判官康頼・丹波少将成経の三人を、薩摩潟の鬼ヶ島へ流した。康頼と成経は千本の卒塔婆に歌を書いては毎日海へ流し続け、そのうちの一本が宮島に流れ着く。折しも清盛の末娘が懐妊のあとに病んで、流人の怨霊のせいだと騒がれていたところだったので、二人はすぐに赦されることになった。残された俊寛は、浜の小石に経文を一字ずつ書きつけて祈り、その数は十七万にも及んだというが、小石は島から一歩も出て行かず、都では帰りたがっていないのだろうと思われた。彼は浜から一キロ半ほど奥の荒れ地の一角、藪山の裾で三十四歳から三十七歳まで暮らし、都から訪ねて来た弟子の有王丸に会ったのち、その地で息絶えたと記す。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
山とお化けと自然界(西丸震哉・山岳・怪異エッセイ・昭和(戦後))
西丸震哉『山とお化けと自然界』を篇単位で収録。完全装備で岩小屋前を通過する遭難者の幽霊目撃、木曾御岳の人魂たち、カラステングがタコを食う、亡き兄との交信やテレパシー(死者との通信)、幽霊の仮説・怪談といった山岳怪異譚を軸に、呪い殺しの実験・雨やみの術・日蝕と雨やみの術などの呪術、山の昆虫・メスネコの生涯・ヤマネとムササビ・ミミズク等の自然観察、酒・山旅・会津の秘境/栗駒山密林などの紀行随想を収める。