俊寛僧都
どんな伝承か
俊寛・康頼・成経の三人は鬼界島に流すと触れられ、治承元年五月、肥前の嘉瀬庄に着いた。そこに長くとどまることができず、嘉瀬津から長崎港外の伊王島にたどり着く。康頼と成経は熊野権現の祠をつくって参詣したが、俊寛は参詣しなかった。嘉瀬庄からは荒木乗観が食物を持って島まで来た。都からは安徳天皇の安産祈願のため流人を呼びもどす使いが来たが、俊寛だけ取り残された。数年後、有王が迎えに来たが、俊寛はやがてこの島で亡くなった。有王は武庫山上に亡骸を葬り、一本の松を植えた。この墓は伊王島小学校の運動場になっている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第13巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第13巻』所収の「文化叙事伝説」全35話(福岡・大分・佐賀・長崎=北九州)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。