七 「吉備津の釜」の髪
どんな伝承か
怨霊をえがいた日本人の中でとりわけぬきん出ているのが上田秋成であると著者は説く。秋成は蟹を意味する無腸と号し、その墓にも無腸と彫まれている。五才の時にかかった悪性の疱瘡のため右の中指と左の人差指がまがったまま伸びず、そのさまを蟹の足のごとくに思ったのだろうかという。享保十九年に大阪曾根崎新地で私生児として生まれ、四才で堂島永来町の商家上田氏に迎えられて家を継ぐ人間として育てられた。養父は加島稲荷を篤く信仰し、秋成もまた稲荷を信仰の中心に置いた。そのことが怪奇の存在を信ずる心につながり、三十七才で『雨月物語』の筆を染めたと著者は述べる。
原典より
* **第三章 幽霊の系譜〈説話の発生と展開〉*** 一 『日本霊異記』の乳房* 二 『今昔物語集』の無言の顔* 三 『宇治拾遺物語』の炎* 四 『古今著聞集』の白蟲* 五 「花世の姫」の姥皮*…—— 日本の幽霊たち ― 怨念の系譜(阿部正路・幽霊・文学史・昭和) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の幽霊たち ― 怨念の系譜(阿部正路・幽霊・文学史・昭和)