秋葉山へ登った異装の女二十五人
どんな伝承か
遠江豊田郡の大嶺村は秋葉山の西にあり、鳳来寺や豊川稲荷を経て御油へ抜ける秋葉街道に面していた。諸国の参詣客が行き交うので、名主青山家の日記には旅人の噂話がよく書き留められている。慶応三年八月八日、その日記に、吉田宿へ大神宮や秋葉山、善光寺の札が降った、秋葉山の札は数知れず、秋葉山おかげが流行っている、と記された。報せをもたらしたのは吉田宿から来た二十五人の女ばかりの一行で、白い着物に鬱金の上締め、桃色の襷、髪は男銀杏という異様ないでたちだった。彼女らは伊勢ではなく秋葉山へ登っていったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。