将門兄弟の陣と鎧神社の起こり
どんな伝承か
天慶の乱のころ、平将頼が兄の将門と談じて陣を置いたのが中野の城山町だと伝わる。夏のある日、将頼は暑さをしのごうと鎧を脱いで陣で休んでいた。そこへ藤原秀郷の子千晴が不意に攻め寄せたので、鎧を着る間もなく、それを盾にして防ぎながら戦ったという。その折に蜀江の錦が落ちたことから、その地を蜀江山と名づけた。将頼は深手を負って落ちのび、ついに討たれた。のち疫病が流行り、将頼の霊が鎮まらぬためだとして将門の霊を祀ってしずめたのが、鎧神社の始まりだといわれる。蜀江山の名は、将軍が紅葉を錦にたとえて褒めたことによるとする説もある。
原典より
場所 柏木四丁目 鎧神社一带時代 平安時代 天慶二、三年(九三九一九四○)のころ中野に城山町というところがある。—— 新宿と伝説(新宿区教育委員会) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
新宿と伝説(新宿区教育委員会)
新宿区教育委員会編『新宿と伝説』を全62話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。