大阪の棄教踏み絵
どんな伝承か
一九三六年(昭和十一)の大本教弾圧に際し、大阪では信者に神体を足で踏ませて信仰を捨てさせようとする強制が行われた。かつてキリシタン弾圧の時代に用いられた踏み絵さながらの仕打ちであり、末端の弾圧は私権を意に介さぬ無法ぶりで、信者宅に土足で踏み込み家財を打ちこわしたという。当局は綾部・亀岡の聖地を接収・破壊するとともに、全国各地で信者を検挙し棄教を強いた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。