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喜三郎の埋蔵金予言外れ

所在地京都府亀岡市曽我部町穴太
年代明治中期
登場上田喜三郎、下司熊次郎、排斥運動に加わった博打打ち
出典出口王仁三郎

どんな伝承か

野ギツネ憑きの騒動の前後、喜三郎は神がかりになると、資金がなければ道は広まらないと言って、埋蔵金のありかを告げたり、落とした大金の所在を語ったりした。しかしそれらはどれも実際には当たらなかったので、穴太の村民のあいだでは、ますます山師扱いをされるようになった。やがて穴太では三ッ屋が斎藤しづの夫で博打打ちの下司熊次郎らと手を結んで排斥運動をはじめ、喜三郎は旧六月、穴太での活動に見切りをつけて本拠を園部へ移すことを決心した。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))

村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。

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