角膜に巴を浮かべ巴御前と名乗る女
どんな伝承か
穴太から急ぎの手紙が届き、喜三郎が帰ってみると、斎藤の家は内も外も人だかりだった。中では多田こと、斎藤しづ、斎藤たか、岩森とくの四人が、激しい神がかりのまま踊り回っている。調べてみると多田には常富大明神と名乗る野狐の霊がかかっており、ほかの者も野狐や野天狗が憑いていると自ら白状した。多田ことは目の角膜に朱の点が浮かんで巴の形になり、われは巴御前だなどと口走りながら跳ねていた。喜三郎はどうにか四人を鎮めたものの、この騒ぎで土地での評判は一気に落ちた。亀岡で活動を始めていた女シャマンの外志はると夫の筆吉らの瑞穂講社も、これで散ってしまったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。