神霊界と神諭の公開
どんな伝承か
一九一七年(大正六)一月、大本教は、来住まもない浅野和三郎を主筆兼編集長として機関誌『神霊界』を発刊した。二月号からは、出口ナオの膨大な『筆先』を、王仁三郎が撰択し漢字を宛て加削訂正した『神諭』が掲載されはじめた。『神諭』は、素朴で力強い表現によって世を批判し、神秘的な世の立替え立直しを訴えつづけた。『去る明治二十五年正月から出口直子という大予言者が現れ、世界一切の出来事を前知して警告した』と説くその内容は大きな社会的反響をよび、大本教祖の予言はいまや全国に広く知られるようになった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。