石垣を鉾で突く毘沙門天の予兆
どんな伝承か
昭和十年八月、出口王仁三郎は自ら主演と監督を兼ねて『昭和の七福神』という映画を撮った。恵比寿、大黒天、毘沙門天、福禄寿へと次々に姿を変えていく一種のパフォーマンス作品で、撮影の舞台は亀岡の神苑天恩郷と、生誕の地である穴太の瑞泉郷だった。大黒天に扮した王仁三郎は北側の国見峠から天恩郷を見下ろし、長い坂を下っていく。毘沙門天のときには石垣の前でふと足を止め、鉾でその石垣を突いた。見過ごしてしまいそうな所作だが、半年後に聖地は官憲の手で大破壊される。あの一突きは破壊を先に示していたのではないか、と伝えられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎の霊界からの警告――発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相(武田崇元・武田崇元・大本研究・現代(著述))
武田崇元『出口王仁三郎の霊界からの警告―発禁「予言書」に示された破局と再生の大真相』。大本の聖師・出口王仁三郎の生涯と予言を、霊界のプログラム(型)として読み解く。