破戒住職が芸者通いに架けたくずるが橋
どんな伝承か
昔、市ノ川の永福寺が栄えていたころ、色好みの住職がいて、松山の町で芸者遊びをするうち、くずるという芸名の芸者と深い仲になった。人目を忍んで足しげく通うにも、市ノ川に橋がないため遠回りをしなければならない。そこで住職は、寺から松山の町へいちばん近い場所で市ノ川に石橋を架け、せっせと恋しい芸者のもとへ通ったという。里の人々はいつしかこの橋をくずるが橋と呼ぶようになったという。
原典より
そこでこの里の人達は、その橋を誰いうとなく「くずるが橋」と呼ぶようになったという。—— 東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史)
『東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説』は、東松山市の市史の民俗編のうち、伝説の部分を収めたものである。岩殿山の悪龍退治や比企一族の落人の話、永福寺の河童の詫証文、箭弓神社の銭絵馬、狐に化かされた話、神かくし、雪女郎など、市内の寺社・坂・沼・塚にまつわる四十六話を載せる。多くは会話を交えた物語の形で書かれ、筆者が幼い頃に母から聞いた話や古老から聞いたままの話も含み、末尾に〔 〕で由緒や文献の注を添える。