洪水の夜に村人を導いた光る勝利地蔵
どんな伝承か
寛保二年八月朔日の夜明け前、集中豪雨で早俣村の土手が切れそうになったとき、「光りものを目当てに逃げろ」という声が村中に響いた。村人が家族ごとに荒縄を握り合い、濁流の上を流れる一つの光を頼りに折元山の台地へ逃れた直後、地蔵堂のあたりの土手が決壊した。流れていく光りものを、都幾川育ちの甚兵衛爺さんが濁流に飛び込んで拾い上げると、それは名主の地蔵さまだった。村人を導いたのはこの地蔵だと皆で拝んだ。この地蔵は、鎌倉時代に早河小四郎勝利が蒙古襲来の戦から帰郷する際に鎌倉で得た守り本尊で、勝利地蔵と呼ばれているという。
原典より
その泥海の中を、何やら光りものが、流れに逆らうように村から九町程離れた折元山の台地に向って流れていく。—— 東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史)
『東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説』は、東松山市の市史の民俗編のうち、伝説の部分を収めたものである。岩殿山の悪龍退治や比企一族の落人の話、永福寺の河童の詫証文、箭弓神社の銭絵馬、狐に化かされた話、神かくし、雪女郎など、市内の寺社・坂・沼・塚にまつわる四十六話を載せる。多くは会話を交えた物語の形で書かれ、筆者が幼い頃に母から聞いた話や古老から聞いたままの話も含み、末尾に〔 〕で由緒や文献の注を添える。