坂上田村麿と岩殿山の悪龍退治
どんな伝承か
坂東十番の岩殿山正法寺の山中に悪龍が棲みつき、真夏に雪を降らせ、田畑を荒らし人馬をさらって村々を苦しめた。桓武天皇の代、奥州へ向かう坂上田村麿に村人が退治を願うと、将軍は二日二晩策を練り、旧暦六月一日、大雪の中をひとりで山へ登った。観音に祈って目を開くと雪の積もらない沢が一つ見え、そこへ大矢を放つと悪龍が姿を現した。将軍は右目に続いて左目も射抜き、最後は剣で喉を突いて仕留め、首を観音堂の前に供えた。村人はすくもりを焚いて将軍を暖め、小麦の茹で饅頭でねぎらった。龍の頭は麓に埋め、大石で蓋をしたという。
原典より
これにはさすがの悪龍も七転八倒の苦しみの末、遂に力尽きて七つの谷に長ながと死骸を横たえて息たえ果てた。—— 東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史)
『東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説』は、東松山市の市史の民俗編のうち、伝説の部分を収めたものである。岩殿山の悪龍退治や比企一族の落人の話、永福寺の河童の詫証文、箭弓神社の銭絵馬、狐に化かされた話、神かくし、雪女郎など、市内の寺社・坂・沼・塚にまつわる四十六話を載せる。多くは会話を交えた物語の形で書かれ、筆者が幼い頃に母から聞いた話や古老から聞いたままの話も含み、末尾に〔 〕で由緒や文献の注を添える。