姫と小姓が身を投げた沼・大たぶさ
どんな伝承か
高坂の高済寺は、豪族高坂刑部大輔の館の跡に建てられたと伝わる。刑部大輔の美しい娘は父に仕える小姓と恋仲になったが、不義として仲を裂かれた。思いつめた姫は春の月夜に館を抜け出し、近くの都幾川のほとりの大沼に身を投げ、小姓も後を追って同じ沼で死んだ。小姓がいつも髪を大たぶさに結っていたことから、その沼は大たぶさ、すぐ下手の小さな沼は小たぶさと呼ばれるようになった。母を早くに亡くした姫をわが子のように育て、嫁入りの晴れ姿を見る日を楽しみに生きてきた乳人も、悲しみのあまり初七日の夜に館近くの林で首を吊り、その林を通る坂は乳人の坂と呼ばれているという。
原典より
後に残された小姓某も一人とり残されたあまりの悲しさにこの世をはかなみ、姫の後を追って同じ大沼に身を投げて死んでしまった。—— 東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史)
『東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説』は、東松山市の市史の民俗編のうち、伝説の部分を収めたものである。岩殿山の悪龍退治や比企一族の落人の話、永福寺の河童の詫証文、箭弓神社の銭絵馬、狐に化かされた話、神かくし、雪女郎など、市内の寺社・坂・沼・塚にまつわる四十六話を載せる。多くは会話を交えた物語の形で書かれ、筆者が幼い頃に母から聞いた話や古老から聞いたままの話も含み、末尾に〔 〕で由緒や文献の注を添える。