恩賞に漏れた耳を埋めた耳塚
どんな伝承か
宮内には、豊臣秀吉の朝鮮出兵にまつわる耳塚の話が伝わる。大島将監が戦で取ってきた耳は雑兵のものばかりで、恩賞にはあずかれなかった。持て余した耳の捨て場に困り、ここへ埋めてしまったのだという。宮内の大島家に伝わる話で、場所は今の野球場のあたりとされる。別の話者は、子どものころ野球場の東あたりに数坪ほどの小さな盛り土があり、耳塚だから祟りがある、怖いぞと言われていたと語る。こちらでは、大島家の先祖が戦で敵の首を取り、その証として耳を切って持ち帰り、のちに埋めた場所だと伝えている。
原典より
話者が子どものころ、今の宮内の野球場の東の辺りに、ちょっとこんもりしたぼっちが一つあって、祟りがあるぞ、怖いぞなどといわれていた。—— 北本市史 第6巻(民俗編)――伝説(北本市(編)・北本市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
北本市史 第6巻(民俗編)――伝説(北本市(編)・北本市史)
『北本市史 第6巻(民俗編)――伝説』は、北本市の市史民俗編のうち、第十一章「伝説・世間話・昔話・諺」の冒頭部分である。章の「はじめに」で四者の性格を説いたのち、第一節「伝説」に蒲桜・龍灯杉・一夜堤や多くの塚の伝承、送りオオカミ・河童・禁忌動物、おたきあげ・十日夜の由来など四十二項目を収める。多くの項目は見出しに石戸宿・高尾などの伝承地を添え、話者名や「埼玉県伝説集成」などの出典を▽で示す。