八百比丘尼が詣でた正代の東崎山
どんな伝承か
若狭の国の漁夫が、上半身が娘で下半身が魚という人魚を捕らえて仲間にふるまったが、誰も口にしなかった。道満という漁夫が捨てるつもりで包んで持ち帰った肉を、その家の娘が見つけて食べてしまう。娘は嫁いで夫に先立たれても若いままで、再び嫁いでも容色は衰えず、ついに尼となって諸国をめぐり八百歳を数えた。千年の寿命の残り二百年を若狭の領主に譲り、故郷の空印寺のそばの洞穴で食を断ったと伝わる。この八百比丘尼は、遊歴の途中に泥海を舟で渡って武蔵国正代の東崎山の観音に詣でたことが、生涯で最も楽しかったと晩年に語ったという。
原典より
その八百比丘尼が全国を遊歴したみぎり、八百年の長い生涯の中で、泥海を舟に乗って武蔵の国の正代の東崎山の観音さまに詣でた時がこの世で一番楽しかったと晩年に語ったという。—— 東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史)
『東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説』は、東松山市の市史の民俗編のうち、伝説の部分を収めたものである。岩殿山の悪龍退治や比企一族の落人の話、永福寺の河童の詫証文、箭弓神社の銭絵馬、狐に化かされた話、神かくし、雪女郎など、市内の寺社・坂・沼・塚にまつわる四十六話を載せる。多くは会話を交えた物語の形で書かれ、筆者が幼い頃に母から聞いた話や古老から聞いたままの話も含み、末尾に〔 〕で由緒や文献の注を添える。