比翼塚
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どんな伝承か
戦国時代、松山城主が武田信玄への援軍を命じ、町人の与四郎も駆り出された。年老いた母と新妻を残しての出陣である。三増峠の激戦で恐怖に駆られた与四郎は脱走し、故郷に帰った。しかし家には誰もいない。仏壇には母と妻の新しい位牌があった。叔父の話では、与四郎の戦死を聞いた母は嘆き死に、妻も母の葬式後に沼に身を投じたという。絶望した与四郎は二人の位牌を抱いて別の沼に入水した。里人は三人を哀れみ比翼塚を作り、二つの沼を女沼と男沼と呼ぶようになった。
出典の文献について
東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史・自治体史(民俗))
埼玉県東松山市に伝わる口承を網羅する。
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東松山市の伝承
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