脱走兵与四郎の一家が沈んだ女沼男沼
どんな伝承か
永禄十二年、松山城主上田朝直は北条氏の命で城下の町人まで駆り出して出陣した。新田の下沼のほとりに住む与四郎も、老母と嫁いだばかりの妻を残して従軍し、相州三増峠の激戦で手傷を負うと、恐ろしさのあまり戦場から逃げ出した。夜にわが家へたどり着くと誰もおらず、仏壇には母と妻の新しい位牌が並んでいた。叔父の話では、与四郎戦死の報に母は嘆き死にし、妻も母の葬式の夜に下沼へ身を投げたという。罪が親類に及ぶのを恐れて逃れようとした与四郎も、上沼のほとりで二つの位牌を抱いて身を投げた。里人は三人を比翼塚に葬り、下沼を女沼、上沼を男沼と呼んだという。
原典より
ふと仏壇を見ると、父の位牌と並んで真新しい白木の位牌が二つある。—— 東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史)
『東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説』は、東松山市の市史の民俗編のうち、伝説の部分を収めたものである。岩殿山の悪龍退治や比企一族の落人の話、永福寺の河童の詫証文、箭弓神社の銭絵馬、狐に化かされた話、神かくし、雪女郎など、市内の寺社・坂・沼・塚にまつわる四十六話を載せる。多くは会話を交えた物語の形で書かれ、筆者が幼い頃に母から聞いた話や古老から聞いたままの話も含み、末尾に〔 〕で由緒や文献の注を添える。