安曇昌成が十三年の写経を埋めた二本松経塚
どんな伝承か
柏崎の旧道に二本松と呼ばれる所があり、根もとに大般若経六百巻が埋められたことが地名の起こりだという。家光のころ、野本の里の分限者安曇昌成は、旅僧から、写経を地中に納めれば仏の力でこの世に再び生まれると聞き、大般若経六百巻の写経を発願した。毎朝水をかぶって身を清め、仏間で心経を唱え、夜を徹することもありながら十三年をかけて書き上げた。吉日を選んで柏崎に大穴を掘り、昌成は一日がかりで経を一巻ずつ納めて最初の土をかけた。親族や里人も土を盛って経塚が完成し、その上に植えた二本の松から柏崎の二本松の名が生まれたという。
原典より
昔二本の松の木があり、その根もとに大般若経六百巻が埋められたので地名となったのだが、今の松の木は一本しか立っていない。—— 東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説(東松山市(編)・東松山市史)
『東松山市史 資料編 第5巻(民俗編)――伝説』は、東松山市の市史の民俗編のうち、伝説の部分を収めたものである。岩殿山の悪龍退治や比企一族の落人の話、永福寺の河童の詫証文、箭弓神社の銭絵馬、狐に化かされた話、神かくし、雪女郎など、市内の寺社・坂・沼・塚にまつわる四十六話を載せる。多くは会話を交えた物語の形で書かれ、筆者が幼い頃に母から聞いた話や古老から聞いたままの話も含み、末尾に〔 〕で由緒や文献の注を添える。