念写をめぐる中傷にさらされ
どんな伝承か
御船千鶴子は大橋邸での実験で山川博士の示した被験物を的中できず、立会人でもない中村清二が「すりかえだ」などと新聞記者に語った。その新聞を見た義兄清原は憤激し、千鶴子は明治四四年一月一八日、二十四歳で毒をあおって自殺した。福来友吉は丸亀中学校教頭菊池俊諦の紹介で、丸亀区裁判所監督判事夫人・長尾郁子に通信実験を依頼し、結果が良好だったので直接実験に踏み切る。撮影済み乾版の透視を頼むと郁子は「高」を的中させ、外部感光するはずのない乾版に説明不能な感光が認められた。二六日、彼は「心」の一字を念じさせる念写の第一回実験を丸亀で行なった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・現代(著述))
井村宏次『霊術家の饗宴』。明治末から昭和初期にかけて隆盛し、抹消された〈霊術家運動〉の歴史を発掘・復元する。プロローグで霊術家の運命を予告し、第一章では気合術師・浜口熊嶽が帝都に乗り込み九字と気合の嵐で名を上げ、明治の心霊手術を行い、実川上人のもと那智滝で仙人修行・三密の極意を得て、大阪の『真言秘密』裁判で判官臨席の気合術実験により勝利するまでを描く。