播磨三草のおかげ踊り
どんな伝承か
「おかげ踊り」は文政十三年の「おかげ参り」につづいて発生し、南河内錦部郡からおこって村次ぎに踊り継がれ、大和・中河内・大坂へ、さらに丹波篠山を経て八月以降に播磨国加東・多可郡へ波及した。播磨へは南河内の発生から一年以上を要している。同年九月、加東郡三草の「おかげ踊り」は十代の青少年を主体とし、村方の制止を押し切って強行されたものであった。踊りには大坂町奉行所などのきびしい禁止令が出され、旧秩序の側と対立する側面がつよく現れていた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔・1970年代~1980年代(推定))
本書は幕末維新期の慶応3~4年(1867~1868年)に東海地方から四国地方にかけて流行した「ええじゃないか」という民衆運動を詳細に記録した研究書である。神社仏閣の札が降下する「お札降り」現象を契機として、老若男女が「ええじゃないか」と囃しながら踊り狂い、祝宴を催す集団心理現象が急速に波及した。