本願寺法主一行数十人を狐が化かす
どんな伝承か
文政十年、京都の東本願寺が洛外の西山に土地を買って法主の別荘を建てることになった。その地には古い神祠があり、社殿の下や付近に狐の穴が多く、取り退ければ災いがあるといわれて地ならしもできずにいたが、別荘が竣工すれば天皇の行幸があるという噂も立ち、ついに祠を取り壊し狐穴をみな埋めて整地した。するとある日、法主が役僧ら十数人の家来を連れ、駕籠四挺・舁夫ともに三十余人で別荘地の見分に赴いた。その帰り、日が暮れて南へ行くべきところを反対に北へ向かい、誰も気づかぬまま三時間も稲田の中を迷い歩き、夜更けに農家の生垣へ駕籠を突っ込んで正気に復した。そこは思いもよらぬ上嵯峨であったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
動物界霊異誌(岡田建文・岡田建文・心霊研究・昭和初期(1927))
心霊研究家・岡田建文が昭和二年(一九二七)に著した『動物界霊異誌』。現代物理は宇宙の大物理の末梢に過ぎぬとの立場から、動物の霊異を迷信的虚妄として退けず証明すべき事例として収集する。蝦蟇(ヒキガエル)の章では、蛇を埋めてクリ茸を生やし食う怪(島根波根東村)、背に五寸釘を刺され口から怪光を吐く大蝦蟇(会津若松龍田屋、同時に幼児が高熱)、猫を灰色の液汁に溶かす怪(石見久利村)、慶応二年に浄土寺へ夜ごと現れた武士の正体が蝦蟇だった話を収める。