淡路の穢多中間の太神宮踊り
どんな伝承か
慶応三年(一八六七)十二月九日の夜、淡路三原郡では「革田・穢多・中間、太神宮へ踊り出ける事、誠に物モ見事也」と記されるほど、身分の上下を問わず人々が入り乱れてオノゴロ神社などへ踊り込み、淡路島はじまって以来ともいわれる人出となった。記録者の水田子静は、この騒ぎの間「盗人ナシ、火事モナシ、喧嘩ナシ」であったと不思議がっているが、実際にそうであったかは疑わしいとも述べている。それでも民衆のあいだには、混乱ではなく独自の秩序が生まれていたのではないかと考えられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔・1970年代~1980年代(推定))
本書は幕末維新期の慶応3~4年(1867~1868年)に東海地方から四国地方にかけて流行した「ええじゃないか」という民衆運動を詳細に記録した研究書である。神社仏閣の札が降下する「お札降り」現象を契機として、老若男女が「ええじゃないか」と囃しながら踊り狂い、祝宴を催す集団心理現象が急速に波及した。