稲生屋敷を襲った一つ目と女の生首
どんな伝承か
平田篤胤の『稲生物怪録』が伝える一件である。享保のころ備後三次郡の稲生武左衛門には平太郎と勝弥という子があり、隣家に相撲好きの三津井権八がいた。寛延二年五月末の夕暮れ、二人は怪しいものを見た験しがないから比熊山で度胸を試そうと語らい、百物語をしてくじを引き、平太郎が山へ、権八が家で待つと決めた。その夜は何事もなかったが、以後この屋敷に物怪が次々と現れる。七月一日の夜には風で灯が消え、障子が赤く染まり、毛の生えた丸太のような一つ目の怪物が姿を見せた。三日の夜には、切り口から長い血の腸を垂らした青白い女の首が胸に乗り、払っても踏んでも蚊帳を自在に出入りして、明け方まで眠らせなかった。
原典より
* 二 百鬼夜行の中の人間* **この本の末に**この資料は、日本の古典文学から説話、能楽、歌舞伎、そして近代文学に至るまで、幅広い分野における「幽霊」の表象とその背後にある「怨念の系譜」を辿る構成となっています…—— 日本の幽霊たち ― 怨念の系譜(阿部正路・幽霊・文学史・昭和) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の幽霊たち ― 怨念の系譜(阿部正路・幽霊・文学史・昭和)