狂言をまねた沢底村と人が降った噂
どんな伝承か
上伊那郷の十四か村には、どこにも札が降ったという。平出村では二十人あまりが虚無僧の姿になって法雲寺まで出かけ、にわかの一座が村を練り歩いた。沢底村では狂言をまねた演し物が仕立てられ、さらにこの村には人が降ったという言い伝えまで残っている。札が降るたびに村役人や若者組から酒が出され、人びとは村ぐるみの祭りとして振る舞いに浮かれた。前年の凶作と米価高騰をくぐり抜けて豊作が見込めた年でもあり、この地域の騒ぎはとりわけ大きな盛り上がりを見せた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史・昭和中期~後期(推定))
本書は慶応3年(1867年)7月から慶応4年(1868年)3月にかけて、信濃地方で発生した大規模な「お札降り」現象を記録した歴史文献である。三河渥美郡に始まった札降り現象は東海道沿いに伝播し、名古屋での流行を経て信濃各地に波及した。飯田、高遠、松本、諏訪などの城下町から農村部まで広範な地域で、神社のお札や御幣が降下したと報告され、各地で「豊年踊り」と称される大規模な祝祭が展開された。